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幸せな投資家の徒然記

幸せな投資家の徒然記

原爆について(戦争、靖国)

8月6日の日記「原爆について」(http://plaza.rakuten.co.jp/15happy24/diary/200508060000/)は、書き込むのに多少勇気が必要だったのですが、皆さんからの反応は凄く嬉しいものばかりでした。

戦争・歴史に関する問題は非常に難しいのですが、大事なことと思い、ここ(フリーページ)に掲載することにしました。皆さんからのコメントも是非、読んで頂きたいと思います。

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リンクして頂いているkle400a3さんの日記で、今日が広島に原爆が落とされて60年目に当たる日ということを思い出しました。広島に友人がいる関係で、何度か広島の町は訪れたことがあるのですが、原爆ドーム(旧広島県物産陳列館・産業奨励館)の設計者であるチェコ人建築家のヤン・レツルは、私が卒業した東京の女子高の戦前の校舎(東京大空襲で焼失)も設計した人で、不思議な縁を感じます。

戦争・原爆については、私も勿論まだまだ知らないことが多いです。ただかつて原子力・エネルギー関係の情報の仕事をしていた折、米国エネルギー省のHPを日常的に調べていて偶然発見したサイトがありました:

  「Atomic Bomb:Decision(原爆投下の決断)」http://www.dannen.com/decision/

いわゆる「マンハッタン計画」で原爆を開発した米国エネルギー省傘下のロス・アラモス国立研究所が原爆投下までの経緯を歴史資料からまとめて編集したものです。但し、当然のことながら、極秘非公開文書はまだ多くあります。

私自身は米国に留学した経験もあって、反米主義ではなく超大国アメリカとは「上手く」付き合っていくべきと考えています。米国の9.11テロも大変悲惨な出来事であり犠牲者の冥福を祈るばかりですが、米国自身は本土を攻撃された経験が無いので(パールハーバーがあるハワイは19世紀終わりに軍事力で併合して加わった最期の州です)、他国の「痛み」がわかりにくいと思います。先の大戦では、日本も他国に軍事的な被害をもたらしましたが、日本では各地の空襲の被害に加え、広島では一瞬にして30万もの一般民衆の命が犠牲になりました。

原爆投下側(米国)の資料は、読んでいただくと判って頂けると思うのですが、日本人である私には辛く切ない内容です。広島と長崎と違う種類の原爆だった事実からも、原爆投下は戦争を確実に終らせる手段ではなく、「実験」であったこと、戦後の覇権を巡る効果から落とされたことは明白だと思います。白人社会であるドイツへの投下は検討されませんでした。

この米国エネルギー省HPのサイトを読み、個人的にはますます「原爆投下は日本の降伏が近いのを承知で行われた『実験』であり、従来からの米国の主張=戦争を終わらすための已む無き手段ではない」との確信を深めました。一部でいわれる「日本が明治以来軍事国家になった事が原爆投下を招いた」という説明とは全く事実は違うと考えています。

原爆投下までの詳細を掲載した同サイトは、2000年の終戦記念日8月15日に一部改訂され、衝撃的なキノコ雲の写真は原爆ド-ムという比較的穏やかな写真に置換えられています。以下、同サイトの1945年資料の抜粋です(原文英語のみ、日本語は拙訳、太字・下線は原文には無く筆者によります):

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1945年(昭和20年)5月10-11日 原爆目標地設定委員会会議録(抜粋)

「(原爆)投下目標地の選定では、大都市地域、爆風によって効果的なダメ-ジを与えることが可能な地域、八月迄の空襲予定地に入っていない場所、等が重要な条件とされた。有力投下候補地は:

●京都=産業都市・日本の元首都。心理的効果から、新しい破壊装置である武器の重要性を確かめるのに非常に有効。有力度AA

●広島=陸軍兵站部かつ積出港で産業都市地域。レーダー目標には最良。低い山が隣接、集中的な効果を生じ易く、爆風のダメージを非常に高められる。山に囲まれている為、大部分の壊滅が可能。川がある為(通常の空襲による)焼夷弾の目標地としては相応しくない。有力度AA

●横浜=まだ空襲・壊滅していない都市の中では重要な産業地域。東京が壊滅したため、横浜に産業活動が移っている。有力度A

●小倉=日本最大の兵器工場の一つがある産業都市区域。工場の広さは原爆炸裂直後の高圧による最大効果が発揮でき、強固な建物を破壊すると共に爆風によるダメージも大きい。有力度A

●新潟=本州北西部軍港。他港は空襲により大半が破壊、重要性が高まっている。工作機械産業もあり、産業壊滅には有力な候補。有力度 B

●皇居=原爆投下地として勧告すべきでない点で一致したが、皇居を我々の新兵器の投下目標とする効果を判断できるよう、情報を集め続けるべきであることでは一致。」

「目標地選定では心理的要因が非常に重要で、日本だけでなく、人類史上初めての使用によりこの武器の重要性を十分見せしめる(見世物的)効果があることが重要。」

6月27日 海軍次官Ralph A.Bard氏の請願
「警告なしに、しかも日本の降伏が近いのに、原爆を使用することは『偉大な人道国家としての米国の地位』に反する行為だ。」

7月3日 Leo Szilard博士による、大統領へ原爆使用中止を求める最初の請願
「原爆は都市を無慈悲に全滅する手段である。」

7月16日 原爆テスト大成功

7月25日 原爆投下の命令発令
「軍事施設を目標とする又は民間人は除かれる、といった記述は無し。都市全体が目標。」

8月6日 広島へ原爆投下。トルーマン大統領、ラジオ演説で「広島は軍事基地」とした。
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同サイトの資料では、米国が京都など日本の文化も全く重んじていなかったこともわかります(京都を守るための米国の文化人の米国政府への請願が功を奏して京都は空襲されなかったというのは戦後意図的に作られた虚説です)。やはり自分たちの国・文化は自らでしか護れない、ということだと思います。

残念なのは...日本人の中に「日本が悪いから原爆を落とされる事態になった」という考えの人が少なからずいることです。米国の大学で修士論文を書く際に幕末から昭和初期までの日本を取り巻く歴史を調べましたが、本当に大変な時代だったと思います。19世紀からの歴史を辿っていくと、日本と米国が対立せざるを得ない状況に残念ながらなっていく状況が見えてきます。勿論、当時にも誤った判断はあり、そうした問題を掘り下げ分析し今後の糧とすることは非常に大事なことですが、明治(戦前まで)の日本人が駄目で今の日本人の方が優れているとは私にはとても思えません。当時には当時の事情があり、間違いはあったかもしれませんが懸命な判断を繰り返していたと思います。

「日露戦争で勝ってしまったから傲慢になって要らざる戦争に突き進んだ」という意見もありますが、確かに道を誤ってしまった面もありましたが、日露戦争でもし負けていたらもっと大変な状況になっていたと思います。ロシアの支配下となった国々の悲惨な顛末を鑑みれば明白です。

8月15日の終戦の日が近づくにつれて、また靖国神社などについてマスコミが取り上げられる機会が増えると思いますが、首相による靖国神社参拝を「わざわざ問題にした」のは、郵政民営化で反対を表明している中曽根弘文氏の父、中曽根康弘元首相です。それまで田中元首相を含め、歴代首相は国の責任者の当然の義務として粛々と参拝していましたから。

また私自身は東京裁判を認めていませんし、A級戦犯とその他の一般兵士等について犠牲者(死せる者)を区別するのはおかしいと思っています。

昔、伊豆・下田半島で、初代米国駐日総領事となったタウンゼント・ハリス(1804~1878)が安政3年8月5日(1856.9.3)に最初の米国総領事館を開設、江戸幕府に足止めされて一年ほど逗留した玉泉寺に行ったことがあります。境内の左側にある太平洋を見渡せる眺めの良い同寺の墓地には、米国人、ロシア人のお墓もありました。18歳、19歳...皆、幕末に来た米国やロシアの船に乗船していた若い水兵たちです。彼ら自身そして家族も、まさか見知らぬ異国の地で若くして命を落とすとは想像だにしなかったでしょう。余りにも若い死と共に、私が感慨深かったのは、日本人・外国人の「区別なく死者を篤く弔う」日本人の心でした。

政治的なプログではないのでこれ以上靖国神社に関するコメントは控えますが、過去の日記に書きましたように、実際に参拝してみると、靖国神社ほど平和を願う場所、祈る気持ちにさせられる場所はないと感じます。

最近確認して非常に残念だったことは、小野田寛郎陸軍元少尉が自分のために集まった義援金や政府からの慰労金を全て「戦地で散った同胞の供養のために」との思いから靖国神社に寄付したことに対し、「軍国主義の手助け」と誹謗中傷が殺到、小野田氏は戦後の日本に絶望して帰国後僅か1年でブラジルに渡った、ということでした。日本人として恥ずかしいことだと思います。

歴史・社会を検証する場合、靖国神社及び同資料館(遊就館)、呉・江田島等を訪れ、戦没者の遺書を読むなど、まずは実際に自分の目で確かめ、なるべく正確な事実を知ろうと努めること(できれば第一次資料を中心に)が大事だと考えています。上記の歴史資料も私の抄訳ですから、是非第一次資料の米国エネルギー省のサイトを読んで頂きたいです。ただ第一次資料であっても、意図的に書かれた資料・間違った情報もありますから、様々な資料から客観的・多角的に判断していくことも肝要だと思います。

テレビや新聞・書籍などの戦争に関する番組や記事も、当然のことながら良い意味でも悪い意味でも「作り手の意図」なしには制作できませんので、受け取る側は注意が必要だと思います。

また、私自身、日本の状況に不満を感じることも多々ありますが、自分も多少とはいえ一人の大人として責任の一端を負う自国(日本)のことを「この国は..」などと見下したり突き放した言い方をするのは、好きではありません(例:民主党・岡田党首、TBSニュースキャスター筑紫哲也氏など)。

何が真実かは難しい問題ですが、先入観を持つことなく幅広く見聞を広め、深めていけば、自ずから物事の姿が見えて来るのではないでしょうか。私も勿論まだまだ勉強不足ですが、自国(日本)の歴史や文化を知らない人が多過ぎると考えています。

(政治や歴史の話は重いのですが、終戦の日に近いので、自分の思いを少し書いてみました)


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